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PROFILE
1945年新潟生まれ。早稲田大学商学部卒業。1970年講談社入社。月刊『現代』、『週刊現代』を経て、『FRIDAY』、『週刊現代』編集長、第一編集局長などを歴任。2006年講談社を退社し、「オーマイニュース日本版」編集長・社長となる。

現在、「オフィス元木」主宰。

著書に『週刊誌編集長』『メディアを思う日々
新版 編集者の教室』など。

【3・11から見る雑誌ジャーナリズムの存在理由】

震災前の時点では10年近く前から販売部数も落ち続け、雑誌は低迷していました。しかし3・11を機にまた雑誌の役割が顕著に表れてきたと思われますが。

雑誌ジャーナリズム自体が変化したかどうかは、捉え方次第です。しかし3・11後は特に原発事故において、大手メディアの過ちが随分明らかになってきました。原発事故の実態、放射能の危険性に対するものや原発の扱い方についての報道。それらが結果的に、安全神話を作ってきました。

戦争というのは、新聞が大々的に報じたことによって突入し、その結果悲惨なことに敗戦になりました。新聞はなぜ戦争中に真実を書けなかったのか反省、検証したりしています。しかし戦後に焦点をあてるとGHQ、占領軍に対して大きなメディアは何をやってきたか。結局、何も書いてこなかったのです。GHQが実施したことをただ鵜呑みにしてきた。GHQ占領下では検閲を受けてしまうから、縛りの中で書いていたのは、『赤旗』と『東京スポーツ』の2紙くらいしかありませんでした。大手メディアはGHQの検閲にひっかかるようなことは書いていないわけです。新聞の脆弱さは、発表ものが多いことに加えて、常に癒着をして取り込まれて書いていくという姿勢だと言えます。原発政策はどうだなど、知らない顔をして書いていますが、正力松太郎は原発を推進するために、読売新聞を使って大々的に平和利用を名目に押し進めてきた。朝日新聞も70年代から仕方なく原発は必要だと方針を変えていき、過疎地帯にお金をばらまいては原発を次々に作ってきました。唯一の被爆国にもかかわらず、日本には54基もの設立を許してしまったのです。

日本の原発はチェルノブイリとは異なり安全だと言っていたのが、全く嘘の安全神話。3・11以降、メディアの報道は全て虚構だということが明らかになりました。新聞は原発の事故を隠し、放射能の発表もただ鵜呑みにして発表するだけ。何の反省もしていません。そこで放射能の発表に「これは違うのではないか」と書き出し始めたのが週刊誌。特に『週刊文春』、『週刊現代』などは熱心に報じていました。反権力とまでは言いませんが、今回の震災で権力に取り込まれて「権力の広報機関」に成り下がるのと、雑誌ジャーナリズムの違いがくっきりと表れました。報道の良し悪しは検証しなくてはなりませんが、週刊誌は部数もだいぶ伸びました。震災の被害者の所へ行くと、彼らも「新聞、テレビを見ていても本当のことを教えてくれない」と皆週刊誌を読んでいました。テレビ、新聞でやっていることはおかしい。被災された方はそう思っています。必要な情報に対して答えていなかったのです。必要としているものに応えていく、それがはっきりわかったのが今回の3・11。週刊誌は役割を終えたわけではなく、部数的にはピーク時には劣りますが、まだまだ存在理由はあると考えています。

【モノを言っていくメディア】

元木さんの持論でもある週刊誌「幕の内弁当論」、雑誌の存在意義とは?

幕の内弁当というのは、1つのところに様々なものが入っているというところに由来しています。私が手掛けていた『週刊現代』で言うと、政治、経済、芸能、グラビアなど全てのものが一通り一冊の中に入っています。これは時代のせいとも言えるのですが、昭和34年に戦後間もなくできたもので、当時は非常に貧しかったのです。当時は何冊も週刊誌を読むことはほとんどなく、一冊の中に全ての情報が入っているのが、当時のコンセプトでした。週刊誌は「貧しさ」から誕生したものです。当時の『週刊文春』は、週刊誌の中ではパイオニア的な存在でした。『週刊新潮』はグラビアなどに力を入れてなかった、代わりに当時から小説を入れていましたし、昔は総合週刊誌とも言われていました。一冊で一週間のことが一通りわかる。そういった形で作られてきました。これまで様々な方に取材を受けて聞いた話ですが、日本の週刊誌というのは世界で例を見ない雑誌とのことです。

雑誌は、モノを言うことができないテレビ、モノを言わない新聞に代わって、モノを言っていくメディアです。テレビ、新聞が報じるものの6、7割くらいは警察、官庁などのお役所ものの発表が中心。雑誌の場合は、昔は記者会見に入れなかったこともり、疑惑段階、事件化する前から追求することをしてきました。例えば、ある政治家にはこういった金脈がある、これは一体どうなのだろうといったところから追求していく。新聞、テレビでは決してできません。新聞に限っては疑惑の段階から報じることは大きなことでない限りまずやリません。

今回報じられたオリンパスの件で言うと、小さな業界誌から始まっていき、大々的には報じたのは『週刊朝日』。おそらくその発売日前にオリンパスが記者会見をして、損失隠しを認めた。〆切が土曜日ということもあり、最初に書いたのは時系列的に『週刊朝日』でした。皆が読んだのかどうかは別にして、それをきっかけに更に記者会見をすることにまで至りました。以前あった鳴門部屋の問題も『週刊新潮』の報道がしたことで、事情聴取するまで発展しました。

最近では訴訟問題もまた増えてきましたが、そのことついてどうお考えですか。

疑惑段階から取材活動をしているから、事件化しないことも当然あります。名誉毀損、プライバシー侵害といったことは新聞よりも多くなってきます。結果としては、向こう傷のようなことは、雑誌稼業をやっていれば仕方のないことです。訴訟問題はない方が良いのですが、疑惑段階から追求していくことになると、やっぱり100%証拠を固めて報じるといったことは難しい。捜索権があるわけではないため、様々な証言をとってほぼ真実に近い段階で書いていくものの、それでも訴えられることはあります。

【良質の情報を見極めていく】

様々な週刊誌を読まれているかと思うのですが、政治批判などを含めて震災時の印象深い記事、特集などはありますか。

今でも原発の事故に関して大きく報じている『週刊朝日』はよく読んでいました。早い時期からメルトダウンしていると報じていて、かなり的確に書いていました。週刊誌は嘘か本当かわからないことがいっぱいありますが、原発関連の『週刊朝日』の連載は今でも必ず読むようにしています。この間も再臨界があると大騒ぎしましたが、その特集も『週刊朝日』でした。

新聞、テレビで報道したことだけでは信頼できません。必ず何か裏があるのではないか。政治家が悪影響はないと言っても、誰も今では信用しないでしょう。では何を信用すればいいのかと言ったときに、週刊誌を信用すればいいというわけで決してありません。週刊誌も全部が良質な記事とは言えませんが、その中の良質な情報を自分で見極めていくということが必要になるでしょう。テレビは異なりますが、新聞ももちろん良質な情報があり、そういった情報を見極めていく。そのためにも様々なものを読まなければなりません。新聞も5、6紙読んで、他紙と比較して始めてわかってくることが多くあるでしょう。インターネットの時代でもあるから、できないこともないですが、インターネットを使って5、6紙全て読むのは大変です。紙の新聞は一覧性に優れているわけだから、広げれば何が起きたのかすぐに把握できる。全ての記事を読む必要はないし、必要なければ次のページに移れば良い、そうやって読んでいきます。雑誌の場合も同様です。

今大学で教えていても、週刊誌を読む学生はまずいません。しかし読ませてみると、面白いと言ってくれます。手にとってみたこともない、買おうと思ったこともない。普通の学生はそれで良いかもしれません。しかしメディアに関心のある学生は、図書館にもあるのだから、たくさんのものを読み、その上で批判していけば良いのだと思います。判断力、リテラシーは大学で教えてくれるわけでないし、簡単に身に付くものではありません。メディアリテラシーは一見簡単なように見えますが、実際に身につけることは難しいものです。日本も外国のように小さい頃から教えていかなければならないかもしれません。

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